卓球レポート14 梅澤さんは心虚の問題を熟知していた(7)
<決定打が打てない梅澤さん>
『ボールをラケットの上で転がすという感覚は、いつ頃習得したのですか』と聞いてみた。梅澤さんは『中学生の時です』と答えた。『才能があったのだ』と思った。『その感覚が習得できたので、関東大会では面白いようにサーブで点が取れました』と梅澤さんは続けた。このときの成績は準優勝で、優勝はできなかった。社長と同じで、梅澤さんも優勝が懸かった決勝戦のプレッシャーはどうにもならなかったようだ。プレッシャーで得意のサーブがまともに打てなくなったのだろう。
『梅澤さんは、サーブでは日本のトップですね』と聞いてみた。すると、『たかしさんにはバックから強烈なドライブという武器があります』という返事が返ってきた。『たかしさん』というのサーティースで2年連続優勝した社長の息子さんのことである。全日本での最高位は15位だ。梅澤さんがそこまで行けなかったのは、たかしさんのような決定的な武器がなかったからだという意味だ。サーブでは日本のトップだが、決定打がなかったため、15位まで行くことができず、目標にしていたたかしさんを超えることができなかったことを今でも悔やんでいるのだ。
梅澤さんの動体視力は、どう考えても日本のトップのレベルに達している。それにもかかわらず、決定打が打てないのは、決定打を打つときでさえスイングのチェックをしながら打つためだ。これでは日本のトップに通用するような決定打が打てるはずがない。しかし、心虚が強いのでチェックをしないと不安で打てないに違いない。
2022/9/6